西方寺縁起

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当寺院とうじいんは、名称めいしょうを『 黒石山 くれしざん 傳行院 でんぎょういん 西方寺 さいほうじ 』といいます。
西暦せいれき1438ねん(永享えいきょう10ねん)の開創かいそう以来いらい、さまざまな時代じだい変遷へんせんなか今日こんにちまで、地域ちいきとのきずな檀家だんかさまをはじめおおくの人々ひとびとえにしささえられながら、ここ宇都宮うつのみや田原たわらつめつづけてきました。

歴代住職

弘法大師(こうぼうだいし) 空海(くうかい)上人(しょうにん)により(ひら)かれた真言宗(しんごんしゅう)がしだいに衰微(すいび)していった平安(へいあん)末期(まっき)中興(ちゅうこう)()興教(こうぎょう)大師(だいし)覚鑁(かくばん)上人(しょうにん)(あらわ)れ、その宗風(しゅうふう)真言(しんごん)教学(きょうがく)刷新(さっしん)創建(そうけん)したのが「新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)」という宗派(しゅうは)です。この新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)(なか)一派(いっぱ)である「智山(ちさん)()」は、京都府(きょうとふ)東山(ひがしやま)にある智積院(ちしゃくいん)本山(ほんざん)としています。

西方寺(さいほうじ)は、真言宗(しんごんしゅう)(おし)えを()()いだ(だい)5世(ごせい)秀継(しゅうけい)時代(じだい)より真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)(てら)となり、現在(げんざい)(いた)ります。真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは)(もん)(宗紋(しゅうもん))は桔梗紋(ききょうもん)であり、(とう)寺院(じいん)もこの桔梗紋(ききょうもん)をいただいています。

  • 開創

    • 寺名

      黒岩山傳行院西方寺

    • 開創

      永享10年(西暦1438年 / 室町時代中期)

    • 初代

      僧 恵信(醍醐・無量寿院僧侶)

    • 所在地

      上田原藩・藤の越地内(現在の自由が丘団地周辺)

    • できごと

      仏像を3体彫り各地区に贈る。
      ・阿弥陀如来 (旧西方寺本尊)
      ・観世音菩薩 (宿田原 明音寺本尊 / 現在所在不明)
      ・薬師如来 (西組 薬師堂本尊)

  • 真言宗へ改宗

    1. 天文5年(1536年)

      西方寺 第5世 秀継が真言宗の教え(金剛界・胎蔵界法の両部大法)を継承

  • 本堂建立

    • 江戸時代中期
      1753~1755年(宝暦3~5年)頃

      ・寺名を (山号)黒石山 (院号)傳行院 (寺号)西方寺 と定める。

      ・所在地 : 上田原地区(宿田原・黒石・本郷・日向・井頭の中心部)

      ・寺小屋『正心舎』を開く

      ・上田原藩の役場・集会所などの機能を受け持つ

  • 江戸時代~明治時代

    • 明治初期

      神仏分離の時代。末寺は維持困難となり西方寺に併合

    • 明治6年(1873年)

      寺子屋『正心舎』が基盤となり「田原村立田原尋常小学校」が創立される。
      以降大正2年(1913年)まで存続。

    ※江戸時代初期までに火災により建物や記録が消失しているため、現在寺に伝わる記録に基づき記載しております

  • 現在まで

    • 大正2年(1913年)~

      ・田原小学校が現在の上田原町に移転。
      ・本堂・護摩堂を改修
    • 昭和22年(1947年)

      農地解放
    • 昭和27年(1952年)

      第32世住職 祥範を迎える(昭和20年1月よりここまで住職不在)
    • 昭和32年

      本堂・庫裡改修
    • 昭和60年

      耐震工事
    • 昭和60~62年

      本堂改修。庫裡と本堂の間に大広間増設
    • 平成17年

      檀徒会館・寺務所棟建設
    • 平成23年3月

      東日本大震災により本堂が被災。以降補強・耐震工事を施す
    • 平成30年6月

      本堂天井画取付
    • 令和3年12月

      本堂天井画「龍」「鳳凰」取付

    資料 : 「西方寺天井画展(春夏秋冬)」湯澤 宏・著

歴代住職

  • 第1世

    秀譽(恵信)

    永享10年(1438)開山

  • 第2世

    秀榮

  • 第3世

    秀光

  • 第4世

    秀弘

  • 第5世

    秀継

    天文5年(1536年)両部大法相承

  • 第6世

    秀請

  • 第7世

    秀歓

  • 第8世

    秀雄

  • 第9世

    俊成

  • 第10世

    秀甚

  • 第11世

    俊興

  • 第12世

    秀玄

  • 第13世

    秀寛

  • 第14世

    中譽

  • 第15世

    髙譽

  • 第16世

    舜賀

  • 第17世

    順盛

  • 第18世

    慶寛

    寛保元年(1741年)8月2日 寂

  • 第19世

    優英

    延享4年(1747年)10月15日 寂

  • 第20世

    學且

  • 第21世

    漉如

  • 第22世

    堯榮

    宝暦4年(1754年)3月4日 寂

  • 第23世

    應珊

    宝暦5年(1755年)本堂庫裡建立
    天明6年(1786年)9月15日 寂

  • 第24世

    重如

    寛政3年(1791年)10月14日 寂

  • 第25世

    順譽

  • 第26世

    慧海

  • 第27世

    啓寶

  • 第28世

    眞慧

  • 第29世

    寛隆

    住職 : ~明治18年5月
    明治18年5月10日 寂

  • 第30世

    有泰(明心)

    住職 : 明治18年6月~明治39年12月
    明治39年12月29日 寂

  • 第31世

    興範

    住職 : 明治40年1月~昭和20年4月
    昭和20年4月13日 寂

  • 第32世

    祥範

    住職 : 昭和27年7月~昭和54年1月
    昭和60年6月16日 寂

  • 第33世

    秀世

    住職 : 昭和54年1月~平成20年1月
    長老 : 平成20年1月~

  • 第34世

    祥生

    住職 : 平成20年1月~平成25年8月
    平成25年8月27日 寂

  • 第34世

    未光

    住職 : 平成25年10月7日~

資料 : 馬頭院法類